アップルは常に時代の先を開拓し、時代を切り開き続けている企業です。
しかしながら、そんな企業でもミスはあるというお話です。
アップルⅢは、1980年にスティーブジョブズが中心となり、開発されたパソコンです。
性能的にはアップルⅡより2倍のマイクロプロセッサーを使い、そのほか付属のドライブなどを標準搭載したビジネス用のパソコンです。
また、価格は4340$から7800$と幅があり、使い道によって買うグレードを選ぶことが出来ました。
しかし、開発の中心人物はウォズニアックではなく、ジョブズだったためその時の技術力を考えず独断で構成を考え、日によって言っている事が変わる状況になってしまったのです。
ジョブズは大学で電子工学を学んでいましたが、ウォズニアックに言わせればほとんど理解できていないと言われるぐらいのレベルでしかなかったのです。
また、ジョブズは大学を中退した後、アタリというゲーム会社に下級エンジニアとして勤めます。そこでブレイクアウトという、いわゆるブロック崩しを作ることになります。しかし、ジョブズは1人で作ることは極めて困難だと判断し、基本設計だけ作り、その他ほとんどをウォズに作らせます。ジョブズのやったことと言えば、ウォズにコーラやお菓子を熱心に運んでくるという仕事を行っただけなのです。
そうしたあまりプログラムの分からないジョブズがアップルⅢを作ったため、ものすごいものが出来上がってしまいました。
一番問題だったのが、空冷ファンはいらないと言い張り、つけなかったことです。空冷ファンが無いと、パソコンに熱がこもり内部のコンピュータが正常に動かなくなります。しかし、ジョブズはアルミ製のシャーシを使っているので、問題なく冷却できると言っていた。
だが、ジョブズの命令はこれだけでなく、大きさについても命令があり、その大きさでは空冷効果を見出すことが出来ない大きさで、結果コンピュータのチップがソケットから外れ動かなくなるといった症状が頻繁に起こったのです。
この時、通常の企業なら新しいのを作り交換をすると思いますが、一時期アップルは対策を考えるだけという対応しかしなかったのです。そしてその対策が以下です。
「アップルⅢの前部を少し浮かし、手を離したときの衝撃でチップの位置が元に戻るよう祈りながら、手を離してください。」
これを例えれば、ブラウン管のテレビの映りが悪くなったときに、ちょっとテレビの横を叩いて直してくださいと言っているのと同じですね。
非常に最悪なケースになりました。
その後アップルⅢは新しく作り直され新品と交換されましたが、その新品も不良品であったのです。
そして、その後もアップルⅢプラスが発売されましたが、後の祭り状態でアップルⅡの足元にも及ばない売り上げで終了しました。
アップルⅢは全てを通してアップル至上一番の問題なパソコンでありました。
参考にした本:アップル・コンフィデンシャル―誰も書かなかったアップル・コンピュータ20年の真実
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